リカコの場合。

著者:佐藤 梨花子 | 2020年8月23日更新

回答者

- 名前: 佐藤 梨花子

- 2015年冬より海女になる

- 既婚

- ゲストハウスAMARGE(アマージュ) オーナー

- 愛知県生まれ、2015年鳥羽市石鏡町へ移住

 

連絡方法

- メール (info@japan-ama.com)

- 日本語/英語が可能

 


<※なお、本記事の内容は個人の見解であり、海女全体や当該地域を代表するものではありません。>



自分自身が海女になる前に抱いていた海女の印象はどんな物だったのか。

みんなぽっちゃりしていて、すごく健康的で強い人たち、というのが私の持つ海女のイメージでした。

みんな開放的な感じで、知らない人でもすぐ話しかけちゃうんだろうと思っていました。でも石鏡の場合、それは全く正しいという事ではありませんでした。ぽっちゃりして体の大きな人も中にはいましたが、多くの人は割りと小柄で全然強そうには見えませんでした。

半分くらいの人はシャイで知らない人と話すのを好みません。でも海に入るとみんなすごくエネルギッシュで力強いんですよ。

陸にいる時とはまるで別人です。

確かに初めはみんなシャイですが、心を開いてくれるとすごくおしゃべりで冗談を言うのが大好きなおばあちゃん達なんですよね。

海女になろうと生まれて初めて思ったのはいつだったのか。

私が初めて海女になろうと思ったのは、2013年に開催された海女シンポジウムがきっかけでした。

シンポジウムで私は「海女は少ない時間で大きく稼ぐことができ、子供を育てることも出来るライフスタイル」であるという事を知りました。

海女という生き方は「現代女性にこそ相応しい仕事」だと思いました。

海女をしている女性は仕事を辞める必要もなく、お金を稼げて、仕事のために子供を持つことを諦めなくてもいい。

女性は結婚すると仕事か家庭かを選ばなくてはならない事が多いです。それが私はずっと嫌で。

だから海女のライフスタイルを知った時、すごく感動しました。

 

「海女になってみたい」が「なる!」に変わった瞬間。

海女に興味を持ったのはただ単におもしろそうだと思ったからでした。

石鏡へ遊びに行くたびに、おばあさんたちが海女はどんなに面白いかと言うのをいつも聞かせてくれるんです。

それでいつか年を取ったら海女になってみようかな~と思うようになりました。50歳とか60歳とか、そのくらいになったらいつか、と。

仕事を辞めて夫の住む石鏡に来ようと決めた時(当時は石鏡と名古屋で別居婚をしていました)、海の博物館の石原館長の所へご挨拶に行きました。夫が以前博物館で働いていたこともあって、館長にはお世話になっていたんです。

コーヒーを飲みながらおしゃべりをしていて、石鏡に引っ越して来たら仕事を探さなくちゃいけないんですよと言う話をした所、館長に「じゃあ海女になったらいいのに」と軽く言われたんです。

夫は笑って首を横に振ったのですが、私はその瞬間「あ、それいいですね」と。

当時私は名古屋の大手企業に勤めていました。

仕事は大好きでしたが、いつも女性が子育てをしながらキャリアを築いていく事の難しさを感じていました。

石原館長が海女になったらと私に言った時、長年の悩みや色々なものが繋がったような気がして、海女になるという事がその答えのような気がしたんです。

 

どうして鳥羽へ?他の地域を選ばなかった理由。

私が鳥羽市石鏡町へ来たのはそこに夫が住んでいたから。

だから元々海女になりたかったとかではなくて、他の地域で海女をする事は考えたこともありませんでした。

でも自分はラッキーだったと思います。夫はすでに漁業権があり、妻の私は普通なら余所者には難しい海女になる事もすんなり叶いましたし、夫を知っているため地元の方も皆さんとても優しくしてくれます。

海女になると言った時も皆さんとても喜んでくれて、応援してくれました。

なので、いつかそのご恩をなんらかの形で返したいなと思っています。

 

海女になって最初に驚いた事、印象に残っている事は?

初めて海女小屋に行った時、水道がなくてびっくりしました。

毎朝、お師匠や同じカマドの仲間たちと近くの川へ水を汲みに行き、小屋へ運ぶんです。

今の時代に日本でそんなことをする人がいるなんて信じられませんでした。

衝撃でしたが、でも正直すごくワクワクしました。だって川から水を汲むなんて今までやったことないですから!

絵本や古い映画にあるようなことをやってるみたいでしょ。

今は水道が引かれてもう川に行かなくても良くなりましたが、時々あの日々が懐かしく思われます。

 

海女をやって良かったと思う瞬間と、正直辞めたいと思った瞬間。

岩に大きなアワビが引っ付いているのを見つけた時は、心臓がバクバクいって気持ちが高ぶります。

でもまずは落ち着いて、どうアワビをおこそうか、傷付けないようにきれいに獲らなきゃと慎重に考えます。

これがこの仕事のすごく重要で難しい所です。

でもやっとのことでアワビをおこして傷がないことが確認できると、もう最高の気分です。

拳を突き上げて「やったー」って!

そんなに数が獲れなくて大してお金にならない日でも、大きなアワビ1個でハッピーになれる日もあります。

でもその代わり、たくさん泳いで潜って、体だって結構調子が良いのにアワビが一つも獲れない日もあります。

他の人は獲ってるのに。

そういう日は本当に、自分は海女の才能無いんじゃないかって落ち込みます。

なんで海女なんかなろうと思ったんだろう、こんな体力的にもキツイし収入だって不安定なの分かってたはずなのに・・・って。

一番好きな海女の獲物は何?

ナマコが私の一番のお気に入りです。

初めは「何この気持ち悪いの」って思うじゃないですか。でもナマコを海で獲ってスカリ(網袋)に入れると真ん丸のスーパーボールみたいになるんですよ。それがフワンフワンとゆっくりスカリの中で回転してるのがすごく可愛いんです。

たぶん海女にしかこの可愛らしさは分からないだろうなぁ~。

 

一番好きな海女の道具は何?

このスノーケルです。

実は海女はスノーケルは付けません。付けてるのは私だけです、まだ潜るのがあまり上手ではないので。

スノーケル無しで潜るのは出来ないですね。スノーケルを付けることで泳いだり潜ったりしやすくなるわけではありませんが、海の中だと心強いというか安心するんです。

石鏡でスノーケルを付けているのは私だけなので、この青いスノーケルを見たらすぐに私だってみんな気付いてくれます。なのでこれは『初心者海女』のシンボルみたいなものかな。

でも今は先輩海女のように磯笛が吹けるように練習をしています。

磯笛は海女の呼吸法の一つで、潜る前後に口笛に似た音を出して呼吸を整えたり、音で仲間同士どこにいるのかを伝え合う役割もあります。

石鏡の海女は3人から5人のグループで潜るのですが、いつも互いに注意を払い安全である事を確認します。

私もいつかスノーケルがいらなくなり自信を持って潜れる日が来ると思います。

その時はきっとスノーケルをまだ付けていた、辛くでも楽しかった、海女を初めて間もない頃の事を懐かしく思うのでしょうね。

 

尊敬する海女の先輩はいますか?

お師匠のとら子ばあです。

元々家が近所だったのですが、夫と私が少し離れた所に家を買ってから家が離れてしまいました。

海女漁のルールや技術、海女の伝統や文化を教えてくれます。私が彼女を好きな理由は海女の事を教えてくれるからというだけではなく、彼女を人として尊敬しているからです。

大漁をした日はいつだってあまり獲れなかった仲間に自分の獲物を分けてくれるし、漁以外でもいつも自分が育てた野菜やお花を知り合いに配ったり。

彼女は以前、いつも神様により良い人間になれますようにとお祈りしているのだと教えてくれた事があります。

彼女はもう80歳も超えているんですよ。それでもなおより良い人間になりたいと願っているんです。

彼女からはとても多くの事を学んでいます。いつか私も年を取ったら、とら子ばあの様になれたらなと思います。

『海女』を一言で表現するとしたら、どんな言葉が思い浮かぶか。

『エネルギッシュな女性たち』とか『パワフルな女性たち』でしょうか。

「お上品」ではありませんね、絶対に。

でも彼女たちと話してその仕事ぶりを見れば、その計り知れないパワーを感じることが出来ると思います。

でもその力強さは男性のそれとは違う気がするんですよね。どう言ったら良いのか分かりませんが、振る舞いや他者を気遣ったり自然を敬ったりする様子はとても女性的です。それはまるで母親の持つ強さや優しさのようだと思います。